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信仰心 



「あの人は信仰家だ」とか「信心深い人だ」といわれる人がおられます。

そういわれることがない人と どこがどのように違うのかとたずねられたとき、どういう返事が出来るのだろうかと考えることがあります。

違いは外見でしか判別できませんから、内心に生じている信心は外から見える言動で判断していることになります。

たとえば、お寺とか神社あるいは教会などにしばしばお参りされる姿を見て、「あの人は信心深い人だ」と思うわけです。

ところが同じお参りにしても、熱心にお墓参りをされる人を見て、信心深い人と思うかというと、少し違いを感じるのです。

どのような宗教であっても、一方的な祈りだけで、教えを聞くことをともなわない行為だけでは、自分流の信仰で不完全なものと暗黙の理解があるからでしょう。

信仰とか信心は、神仏の話を聞いて 自己の姿を知ることからことから生まれてくるはずですから。

[ 2017/08/24 06:10 ] 気づき日記 | トラックバック(-) | CM(0)

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